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河口慧海 著/日高 彪 校訂(改訂新版)
A5判・上製クロス装・函入・196ページ 2010年2月刊
定価:5700円+税 ISBN978-4-86330-035-4
仏教徒必携必読の分かりやすく学際的なゴータマ・シッダルタ伝!
「釈迦伝」の類は古今あまたあれど、正確な「伝記」として読むに堪える本は案外少ない。本書は、釈迦への崇敬と帰依を生涯表明してやまなかった快僧・河口慧海が、「伝説を極力排し、児童にも読めて釈尊の生涯の歩みと徳を正確に伝える」というコンセプトで著した伝記である。慧海自ら命がけでチベットより持ち帰った蔵伝仏典をはじめ、漢訳伝、インド・ネパール伝、ビルマ・セイロン伝なども参照され、インド・ネパールの仏跡の実地調査を行った慧海ならではの活々とした筆致で綴られる。仏教読み物として、また慧海の業績を伝える資料として、今なお不朽の一冊です。
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「河口慧海著作選集」推薦文 チベット文化研究会会長 高山龍三
百年余前、チベット探検僧としてもてはやされた河口慧海、一年余で再渡印、インド、ネパール、チベットに計一七年も滞在、仏教、チベット語、梵語を学んだ。帰国したときは五〇歳、彼の研究と著作はその後に始まる。あまりにも有名な『チベット旅行記』のみ取りあげられるが、日本におけるチベット学の祖として、請来した経典の翻訳、研究、チベット語学生の養成、未完に終わったが辞典編纂につとめた。慧海を扱った本や論文は日本だけでなく、中国、欧米にも及び、増え続けている。彼の仏教思想は改めて現代に問い直されている。彼は学究としての道をとらず、また僧としての地位に安住せず、行動する真の宗教者として一生を終えた。彼の請来した文献や多方面にわたる文物は、公共の機関に所蔵され、チベット文化研究に貢献した。そのいくつかの著作は復刻されたが、ここに現代人が読みやすいように、書籍化されるようになったのは、幸せなことである。 |
著者略歴
河口慧海(かわぐち・えかい) 1866-1945
仏教学者、僧侶。大阪府堺市生まれ。哲学館(現・東洋大学)、黄檗山万福寺に学ぶ。大乗仏教の原典を求め、1897年よりインド・ネパールを遍歴の後、単身チベット探検を敢行。1901年(明治34年)日本人で初めてチベットの首府ラサに到達する。1913年(大正2年)2度目のチベット入りを果たし、ネパール伝サンスクリット(梵語)仏典、チベット大蔵経等を将来する。帰国後、大正大学教授。我が国の西蔵学(チベット学)・印度学(インド学)の先駆として活躍。著書『西蔵旅行記』(チベット旅行記)は現在まで広く読み継がれている。 |
目次
一 お釈迦さまの誕生地
二 お釈迦様の御先祖
三 誕生の準備
四 誕生
五 阿私陀仙人の観相と予言
六 文学武術の上達とその遊戯
七 理想の妻とその撰択
八 自撰結婚(スワヤンバラ)
九 悉達太子の洪水救済
一〇 四門出遊
一一 太子出家前の防衛
一二 悉達太子の出家
一三 太子の求善知識
一四 六年苦行
一五 降魔と成道
一六 最初の信者
一七 最初の説法(初転法輪)
一八 三大行者の教化と頻昆沙羅(ビンピサーラ)王
一九 二大弟子と大迦葉波(マハーカシャバ)の得度
二〇 火生長者の得度及び長爪梵志の得度
二一 祗園精舎の建立
二二 波斯匿(プラセーナジット)王及びその夫人末利(マーリカー)の帰仏
二三 如来父大王に遇う
二四 釈迦族多数の出家
二五 浄飯大王の崩御と婦女子の出家
二六 善星比丘の邪見、阿難陀(アーナンダ)侍僧となる
二七 外道六師の神通挑戦
二八 如来大神通を現して六師を降伏す
二九 仏陀女性の化度
三〇 指鬘波羅門の入道
三一 長者の万灯貧者の一灯
三二 提婆達多(デーヴァダッタ)の破和合
三三 提婆達多が世尊を殺さんとす
三四 阿闇世王の懺悔化度
三五 吠含離(ヴァイシャリー)国難攻不抜の七原因
三六 入滅の宣言と正法の付属
三七 入涅槃 |
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