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従来わが国においては、シャクンタラーを梵語の原典より直接に翻訳せるものなし。(中略)イギリス訳によって重訳せるものなり。しかしてこの両イギリス訳は前述せる如く盲目的歓迎を受けたるナーガリ字体のものによれるものにして、その不完全なるはここに説明を繰り返すまでもなきところなり。試みにかの和訳を繙かんか、いずれも原梵文より離るること甚だ遠く、中には原文と全く反対の意に翻訳されたるものも少なからず、また何の意たるかを捕捉し難き箇所も多し。いずれもインドの実際に接せざる人々のこととて、その地理、気候、風俗、習慣及び印度詩人の情想等を知るに由なく、随って、漫然イギリス訳によって逐次重訳せるものなればその和訳によって全編に現れたるインド趣味を解せられざるも当然なりと云うべし。不完全なる原書によれる上に、イギリス語は風俗習慣信仰の全く異なる人種の用語なれば、さらにこれによって重訳を試みたるわが訳者が如何に労苦されたりとて、その真趣に到達し能わざりしは無理ならぬことと云うべし。
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「河口慧海著作選集」推薦文 チベット文化研究会会長 高山龍三百年余前、チベット探検僧としてもてはやされた河口慧海、一年余で再渡印、インド、ネパール、チベットに計一七年も滞在、仏教、チベット語、梵語を学んだ。帰国したときは五〇歳、彼の研究と著作はその後に始まる。あまりにも有名な『チベット旅行記』のみ取りあげられるが、日本におけるチベット学の祖として、請来した経典の翻訳、研究、チベット語学生の養成、未完に終わったが辞典編纂につとめた。慧海を扱った本や論文は日本だけでなく、中国、欧米にも及び、増え続けている。彼の仏教思想は改めて現代に問い直されている。彼は学究としての道をとらず、また僧としての地位に安住せず、行動する真の宗教者として一生を終えた。彼の請来した文献や多方面にわたる文物は、公共の機関に所蔵され、チベット文化研究に貢献した。そのいくつかの著作は復刻されたが、ここに現代人が読みやすいように、書籍化されるようになったのは、幸せなことである。
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著者略歴訳編者:河口慧海(かわぐち・えかい) 1866-1945
原著者:カーリダーサ Kālidāsa कालिदास 目次 祝詞 ご注文 |
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