口絵
はじめに
第一章 石丸虎五郎の生い立ちから長崎伝習時代まで
石丸虎五郎の出自
経綸之碑
弘道館蒙養舎・内生寮に学ぶ
義祭同盟
佐賀藩蘭学寮へ
兄と父
佐賀藩の長崎警備
長崎海軍伝習所の開設
佐賀藩の蒸気船伝習準備
飛雲丸と晨風丸
長崎海軍伝習生となる
安政六年虎五郎の伝習
長崎海軍伝習所閉鎖後
電流丸に乗り込み伊万里へ
虎五郎の英語稽古
英語教師三島末太郎
他の伝習生の記録
オランダ教師団の帰国
グラバーとフルベッキの来日
海軍伝習生佐賀へ帰る
三重津の海軍伝習
万延元年本野周蔵との出会い
伊東次兵衛に泊めてもらう
英学稽古の継続
壱岐・対馬・五島巡視
プロイセン・ドイツの写真師、虎五郎を撮るか
数学はフルベッキとパーカに習う
長崎海軍伝習生の海外渡航
文久二年野村文夫との出会い
石丸嘉右衛門安積
文久三年攘夷派に狙われる
元治元年の虎五郎
久富与平と虎五郎
虎五郎は道楽先生
直正の通訳としてイギリス艦へ
大殿へセコンドを贈る
母の死
フルベッキとフレンチを佐賀へ案内
第二章 イギリスへ密航留学
慶応元年十月十七日長崎港出発
広島藩士野村文夫の渡航費用
野村文夫の出版物
乗槎日記
いざイギリスへ
イギリスの土を踏む
アバディーンでの生活
イギリス留学の成果
パリ万国博覧会へ
長州藩留学生山尾庸三・竹田庸次郎
手塚五平の手記
慶応四年帰国
佐賀藩の軍制改革
小出千之助
有田郷・山代郷での貢献
第三章 明治三年から明治四年上京まで
小城藩の炭坑開発
久原の異人屋敷
虎五郎の私塾経綸舎
久原経綸舎の塾生
中野宗宏
モリスの蒸気機械
江越禮太と田尻禮造
佐賀藩木須炭坑の契約書
第四章 工部省電信頭時代
明治四年直正薨去
工部省へ出仕
石丸安世と電信修技の学校
東京経綸舎のはじまり
東京経綸舎の入塾者
田中林太郎
石丸邸の寄留者
手塚輝雄と手塚五平
異色の経綸舎塾生
経綸舎から四博士誕生
電信修技校出身者
石丸安世電信頭と電信寮のひとびと
電信寮はじまりの頃
電信線の延長・電信の普及
電信寮建築掛の記録
石丸電信頭と有田の碍子
田中久重に上京を促す
電信線増架願い |
第五章 大蔵省造幣権頭・造幣局長時代
大坂に造幣局建設
馬渡八郎(俊邁)
明治十年二月御行幸
造幣寮と大隈財政
造幣局長石丸安世
貿易銀の変遷
直大の印章
香港・天津のできごと
明治十三年の貨幣大試験
大坂川崎日進学舎
上海輸入石炭表
石丸安世邸で沖電気創業
第六章 明治十四年の政変から明治十五年
明治十四年十月十一日
大隈重信の政変談話
石丸安世の辞職
牟田口元学
久米桂一郎
石丸農場開設
石丸家別荘跡
鍋島幹と深川亮蔵
伊万里銀行へ出資
櫛屋前田家の石丸安世書簡
第七章 神陽先生の碑建立から晩年
帰郷
神陽先生の建碑発起人となる
海軍省出仕
小野濱造船所長として神戸へ
明治十八年湊川神社に石燈籠を奉納
賢崇寺の石燈籠
造船所見学の石丸安世
元老院議官となる
大隈重信の案内に応える
フルベッキ墓碑建設発起人のひとりとなる
櫻水遺稾
石黒直寛
江口如心三酌翁
篤友吟社
櫻水の終焉
櫻水の親友たち
西岡逾明′ャ
牟田口元学鷹村
長森敬斐学稼
原田種成蘿径
久米邦武易堂
遺言
第八章 虎五郎(安世)の家族
青山の墓所
妻阿以
長男龍太郎
佐賀本行寺の墓所
本野季雄を養子に
季雄の中国土産
季雄の実父英吉郎
石丸家と本野家
盛亨と總子
盛亨の息子達
讀賣新聞と本野家
早稲田大学と本野家
龍太郎の妻トクとその父園田実徳
おわりに
資料編
年譜・系図
イ 石丸安世年譜
ロ 石丸家系図
ハ 石丸安世をとりまく人物年表
ニ 石丸家と本野家、中村家、園田家、西郷家の関係
ホ 蔵春亭久富家系図
へ 田中久重・石黒貫二・中村奇輔の関係
一 石橋家文書
解説
(一)海軍伝習ニ付詰中着到
(二)口達録
(三)覚八枚
(四)蒸気船御願其外御奉行所御届写
二 「船長浜野さん」について
三 明治五年電信機掛文書
四 造幣寮文書二部
五 造幣局長石丸安世の書簡
六 明治十七年の石丸安世書簡
七 経綸之碑
八 光吉元こと光吉元次郎について
史料・文献・論文目録
人名索引
謝辞 |