南方熊楠
記憶の世界―記憶天才の素顔
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雲藤 等・著
A5判・上製クロス装・函入・356ページ 2013年8月刊
定価:7000円+税 ISBN978-4-86330-062-0
あの天才熊楠も、物忘れに悩んでいた!
南方熊楠の記憶の実態を探る!
本書は、南方熊楠の「記憶」の問題に光をあてたものである。彼の生涯は、数々の伝説に彩られている。小学生の頃に『和漢三才図会』や『太平記』を丸暗記してノートに筆写した。また、晩年においても、優れた記憶は維持されたままであった、などと言われている。しかし、これらは事実ではない。
本書は、熊楠の伝説ではない記憶の実態を明らかにし、彼が40代なかば頃から記憶低下に悩み、それに懸命に対処しようとする姿を描いている。さらに、彼の記憶と学問とがどのように関与していたのか、という問題の一端も解明しようと試みるものである。
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著者略歴
雲藤 等 (うんどう・ひとし)
1960年、北海道三笠市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士前期課程(日本史学専攻)、放送大学大学院文化科学研究科修士課程(教育開発プログラム)、早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程(日本歴史論)修了。博士(学術)。
専攻は、日本近代史・認知心理学。現在、早稲田大学日本地域文化研究所招聘研究員。
編著に、奥山直司・雲藤等・神田英昭編『高山寺蔵 南方熊楠書翰 土宜法龍宛 1893-1922』藤原書店。南方熊楠顕彰館編『南方熊楠
平沼大三郎
往復書簡』南方熊楠資料叢書、主な論文に「西洋科学と南方曼陀羅」『ソシオサイエンス』18号、「南方熊楠の和歌山城保存運動」『地方史研究』355号などがある。 |
南方熊楠(みなかた・くまぐす) 1867-1941
慶應3年(1867)和歌山市に生まれる。幼い頃から優れた記憶能力を示し、漢文で書かれている書物を次々と読み進めていた。その中でも、『和漢三才図会』の読書ノートは有名。
明治17年(1884)に東大予備門(後の第一高等学校)に入学するも、翌年退学。明治19年(1886)にはアメリカのパシフィック・ビジネス・カレッジやミシガン州立農学校などに留学するが、ここも退学。明治25年(1892)、イギリスに渡り、大英博物館に通い文献筆写・資料調査を行いながら、『ネイチャー』などに論文を発表する。
明治33年(1900)帰国。植物採集・研究と民俗学の研究を続けながら、「神社合祀反対運動」や「和歌山城保存運動」などの社会活動にも従事。昭和4年(1929)昭和天皇に御進講したことは広く知られている。最後まで菌類の図譜作成を進めていたが、刊行されないまま昭和16年(1941)死去。享年75歳(数え年)。 |
目次
序章
第一章 南方熊楠の記憶伝説―三つの伝説の再検討―
はじめに
第一節 南方熊楠の記憶能力の評判
第二節 『和漢三才図会』のエピソード
第三節 『太平記』暗記のエピソード
(一)エピソードの内容
(二)伝説の背景
第四節 『大蔵経』筆写のエピソード
(一)エピソードの内容
(二)熊楠自身の伝説の黙認
おわりに
〔補論〕手紙・随筆に見る『和漢三才図会』のエピソード
第二章 南方熊楠の記憶の実態
はじめに
第一節 記憶から情報を書き出す事例
(一)日記三ヵ月分を記憶から記述した事例
(二)一五年前の日記を記憶から記述した事例
(三)採集した植物の名前を記憶から記載した事例
第二節 人の名前を記憶するエピソード
第三節 読書力―『輟耕録』のエピソード
第四節 熊楠の植物学講義
第五節 忘れるための工夫と直観像
おわりに
第三章 南方熊楠の記憶方法の概略―記銘・保持・想起―
はじめに
第一節 幼少期における記憶方法
第二節 成人期の記憶方法
(一)記銘(符号化)について
(二)保持(貯蔵)について
(三)想起(検索)について
おわりに
参考史料 熊楠の記憶と原典
第四章 南方熊楠の記憶低下の自覚とその要因
はじめに
第一節 熊楠の記憶低下の自覚
(一)四〇代・五〇代での記憶低下
(二)六〇代・七〇代での記憶認識
(三)記憶に関しての失敗のエピソード
第二節 記憶低下の要因
(一)加齢にともなう記憶低下
(二)熊楠自身の分析
(三)てんかんの問題と病歴
第三節 卓越した記憶
おわりに
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第五章 南方熊楠の記憶低下とその対処法
はじめに
第一節 記憶低下の特徴
(一)加齢による想起の障害
(二)覚える段階(記銘)の問題
第二節 対処法
(一)索引の作成・頭書き・分類・論文の作成
(二)人的ネットワークの利用
おわりに
第六章 南方熊楠の和文論文の役割―和文論文外部記憶装置説の試み―
はじめに
第一節 和文論文と英文論文の位置づけ
第二節 和文論文の役割
第三節 和文論文からの情報の流れ
第四節 和文論文がわかりにくい理由
おわりに
第七章 南方熊楠の記憶構造―和文論文の検討を通して―
はじめに
第一節 論文の構成から見た記憶構造一
第二節 論文の構成から見た記憶構造二
第三節 和文論文の引用パターンについて
おわりに
第八章 南方熊楠の学問分野の重心移動―民俗学から植物学へ―
はじめに
第一節 民俗学から植物学への重心移動
第二節 英文論文の変化
第三節 二つの変化の背景
(一)図書館の問題
(二)記憶の問題
(三)植物研究所の設立
第四節 二つの解釈の相互作用
おわりに
終章
第一節 記憶と熊楠の学問
第二節 体系的学問をのこさなかった理由
第三節 熊楠の記憶から学ぶこと―書く作業
附論 南方熊楠の周期的不快と「田辺抜書」
はじめに
第一節 冬から春にかけての精神的不快
(一)四〇代での状況
(二)五〇代以降
第二節 精神的不快に対する熊楠の対策
(一)標本作成と抜き書き
(二)「田辺抜書」中の大蔵経の抄写
おわりに
附表 南方熊楠の病歴表
参考文献
人名索引
あとがき |
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