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増補版 安藤太郎文集 (日本禁酒・断酒・排酒運動叢書第2巻・日高彪編)

増補版・安藤太郎文集・書影
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著者:安藤太郎  解題:伊東裕起
ISBN978-4-86330-181-8 C0321
定価:本体6000円+税 256頁
A5判・上製クロス装・函入 2017年5月18日刊

日本禁酒同盟会の初代会長・安藤太郎の貴重な遺稿集!

箱館戦争では榎本武揚のもと宮古湾や五稜郭で戦い、明治新政府では岩倉使節団に参加、ハワイ総領事などを務めた安藤太郎。酒豪であった彼は、禁酒とキリスト教に目覚め、日本禁酒同盟会の初代会長となり、「禁酒の使徒」と呼ばれた。彼の遺稿集『安藤太郎文集』にさらに貴重な資料を加え、読みやすい現代表記にて増補版として復刊!禁酒運動を軸として、彼と交友のあった幕末の元勲・志士たちとの思い出や、日本人移民について、そして彼の信仰について語る。日本の禁酒運動を論じる上で外せない資料!日本史研究者、キリスト者にも!(解題:伊東裕起)

日本禁酒・断酒・排酒運動叢書以後続刊予定!

著者略歴・編者(解説者)略歴

〔著者〕安藤 太郎(あんどう・たろう)
種痘の先駆者である鳥羽藩の藩医・安藤文沢の子として生まれ、横浜に留学し、横浜英学所にて宣教師のディビッド・タムソンおよびサミュエル・ロビンス・ブラウンから英語を学び、後、安井息軒から漢学を、大村益次郎と坪井為春から蘭学を、箕作秋坪および荒井郁之助から英学を学ぶ。海軍操練所および陸軍伝習所に入り、江戸幕府の騎兵指南役および海軍二等見習士官となる。函館戦争時は榎本武揚のもと回天丸に乗船し、宮古湾海戦で負傷。五稜郭の戦いで投降し禁固一年の後、明治政府の外務省翻訳官に任官され、通訳官(四等書記官)として岩倉使節団に参加。香港領事を経てハワイ総領事となり、美山貫一より受洗。禁酒運動家となる。外務省通商局長、農商務省商工局長を歴任した後、東京禁酒会および日本禁酒同盟会の初代会長を務めた。自宅を日本メソジスト銀座教会安藤記念講義所として献堂。同講義所は後に「安藤記念教会」(現・日本基督教団安藤記念教会)となった。(1846〜1924)

〔本書解題〕伊東 裕起(いとう・ゆうき)
1983年熊本市に生まれる。東海大学、熊本学園大学などで非常勤講師を務め、2011年、熊本大学にて博士(文学)取得。現在東洋大学非常勤講師。共訳に Kaneko Tohta: Four Volumes Series (Red Moon Press, 2011-2012)共著に『Grammar Discovery :そうだったんだ! 英語のルール』(センゲージラーニング、2013)など。

〔本叢書編者〕日高 彪(ひだか・たけし)
昭和44年5月28日、名古屋市に生まれる。文学・歴史研究家。東海中学・東海高校(浄土宗)に学ぶ。平成6年3月、早稲田大学第一文学部文学科日本文学専修卒業。出版社勤務を経て現在に至る。

目次

序 (美山貫一)
序 (藤田敏郎)
序 (根本 正)
第一篇
噫明治天皇
宮中の慣例は永久不変なるか
天盃下賜の御真意
第二篇
犯罪者に同情す
福島中佐の単騎シベリア横断
吾輩は人である
日本禁酒事業の進歩
第三篇
台湾の患は土匪にあらず酒魔なり
教育家の責任
悪税とは何ぞや
文部大臣の訓令について
不景気挽回策如何
酒類販売取締の急務
全米禁酒の由来と理由
講和の善後策に就いて
排日熱と芸娼妓
世界大戦の結果欧洲文明の真相発揮さる
御大典と記念事業
第四篇
失敗のナポレオン
実業家と酒
名士酒禍物
第五篇
飲酒と博奕
酒類全廃恐るるに足らず
交際の奥の手
幕末の雑観
余は酒害の標本なり
都人士の権利と義務
神酒は愚昧なる遺習に過ぎず
労働者と禁酒
第六篇
伊藤一隆氏と語る
正宗の大気焔
節酒問答
聖書と酒
禁酒万能論
第七篇
禁酒賛成者は会員外にも多し
自然にして容易なる禁酒演説
禁酒事業と団結の必要
禁酒運動利己論
暴飲家に対する運動
習慣と戦うべし
禁酒党を組織せよ
禁酒会の組織について
第八篇
ハワイ禁酒事業の由来
樽割り美談の真相(安藤文子夫人談)
第九篇
警察官禁酒の必要
英国陸軍大臣閣下に感謝す
○○令夫人に送るの書
学習院院長乃木伯爵閣下に呈するの書
陸海軍々人に与うるの書
名力士常陸山に与う
故広瀬中佐の精神を尊重せよ
大岡衆議院議長の英断を謝表す
飲酒家の妻君に送る
警察官禁酒会を表彰す
電車内の醜広告を一掃せよ
日本最初の禁酒軍艦
陸軍大臣田中義一閣下に進言
日米両国親善のために
附録:『安藤太郎氏昇天記念』
故安藤太郎氏略歴
故安藤太郎氏葬儀執行順序
説教 美山貫一
弔辞 鵜飼猛
拶挨
弔電
弔辞
安藤太郡先生
禁酒は宇内の大勢なり
在布哇受洗の始末
解題『増補版 安藤太郎文集』 伊東裕起

本書より抜粋

余が禁酒演説の折り、時とすると少壮輩の内で斯様な言を放って、禁酒の勧告を拒絶する者がある。「安藤さんくらいに飲んで、それからヤット禁酒をしたからと云って、何も別に感心する程のことでもない。僕もこれから安藤さんくらいな年までウント飲んで、そして善い加減な時分に禁酒する。それまで待って貰いたい」と戯談半分に断る者があるが、斯様な連中は余の眼から見ると、何とも以て、気の毒千万な人物と云わねばならぬ。何故と云うに、茲に一つ比喩を以て話して見ようならば、今余が夜中道を歩いて、往来の真ン中に溝があって、その中へ落ちて手足を挫いたり擦り剥いたりしたとする。そこへそれを知らずに、あとからブラブラ歩いて来る者があったとしたならば、人情として誰でも後方を振り返って「アアここは危いから気を付けろ」とか、「脇へ廻れ」とか大声で注意を与えるに相違ない。然るに後方の者が「イヤ君は一遍落ちたからソンナ事を云うが、僕はまだ一度も落ちたことがないから、是非一度は落ちて、打撲や擦り傷の痛さ痒さの昧を知りたい」と、委細構わず進んで来る者があったなら、その人は確かに狂人か白痴に相違ない。今余は現に飲酒という大溝へ陥って、酒害という大怪俄をした者である。だから一方の人情からしても、已に墜落した者はこれを引上げて遺ったり、また未だ溝に落ちない少壮輩に対しては、禁酒を大声疾呼してこれに警告を加え、無疵健全な人物たらしめんと勉むるは、余輩の如き遭害者の当然なすべきの任務であろうと思う。(「余は酒害の標本なり」)

諺に「生命あっての物種」という語あり。生民あって然る後国家社会も存立することなれば、この生民の健康状態や寿命の長短が、直接に国運の消長に関係を生ずるは固より当然の事にして、文明諸国の国家が国民の衛生に重きを措くまた怪しむに足らざるなり。然るに禁酒はこの点に於いて衛生事業の大部分を占有し、国家社会に貢献する所、実に偉大なるものあり。
(「禁酒万能論」)

日本禁酒・断酒・排酒運動叢書「刊行の辞」

アメリカの所謂「禁酒法」について、鼻で笑い馬鹿にするが如き態度をとる日本人は多い。だが、アメリカの道徳的改良主義に源を発する同法が、結果的には失敗に終わったとはいえ、如何に真摯な問題意識から起こった、人類史上稀にみる「実験」であり「試行錯誤」であったのかを我々は改めて確認する必要がある。
日々目の当たりにする「酒害」の問題に、目を背けることなく、世に警鐘を鳴らし、それと戦い続けた慧眼の持ち主は、米国のみならず我が国にも多数存在した。しかも、米国の「禁酒法」より遥か昔、古代からわが国では、「禁酒運動」が細々ながら連綿と続けられてきたという事実は、本叢書第一巻「日本禁酒史」において明らかになるであろう。
本叢書は、そのような先人諸賢の言葉に謙虚に耳を傾け、今後の「禁酒運動」発展の一助となるよう、広く古今の名著を収集して編纂されたものである。
「運動」といっても、何もプラカードを掲げて市中を行進するばかりが「運動」ではない。我々の周りの問題飲酒者に注意を喚起し、手を差し伸べることもまた、立派な「運動」なのである。
酒害は真っ先に「人間関係」を破壊するが、酒害からの回復もまた「人間関係」によって齎される。或る種の目的を遂げるべく、国や社会、地域コミュニティー、家族などにおける「人間関係」に一定の影響を与えんとすること、それを広い意味で「運動」と呼んで差し支えないとの理由から、本叢書に「運動」の語を冠した次第である。
本叢書が、我が国におけるこれからの「禁酒運動」を理論的に後押しし、一人でも多くの酒害者やその家族の方々に希望の光が兆すことを祈るばかりである。(日高彪「巻頭言」)
「日本禁酒・断酒・排酒運動叢書」のパンフレットはこちらPDF(623KB)

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