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禁酒叢話 (日本禁酒・断酒・排酒運動叢書第5巻)

禁酒叢話
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著者:長尾半平
ISBN978-4-86330-184-9 C0321
定価:本体6000円+税 256頁
A5判・上製クロス装・函入 2018年3月

飲酒に甘い日本人に対し警鐘を鳴らす、渾身の名著!

近代日本の交通インフラを整備するとともに、日本禁酒同盟会(日本国民禁酒同盟)の理事長を二度務めた長尾半平。お酒が飲めないと組織の上に立つ人間とみなされなかった時代、彼はいかにして自らの禁酒主義を守り通したのか。日本の禁酒運動の文献として外せない彼のパンフレット『禁酒』に発表した文章の再録はもちろん、彼が四十年にわたって書き溜めた数々の論考を一冊にまとめた貴重な書! 禁酒家や研究者必携!

日本禁酒・断酒・排酒運動叢書以後続刊予定!

著者略歴・編者(解説者)略歴

〔著者〕長尾半平(ながお・はんぺい、1865−1936)
日本禁酒同盟(日本国民禁酒同盟)第二代および第四代会長。土木技術者、鉄道技術者、教育者、政治家、実業家、俳人。帝国大学工科大学土木工学科を卒業後、内務省に入省。
土木監督所に勤務の後、山形県および埼玉県土木課長を経て、台湾総督府民政部土木課長に就任。港湾調査のために渡欧時、夏目漱石と同じロンドンの下宿で過ごす。帰台後は基隆港湾局技師を経て土木局長心得に就任。後藤新平の招きで鉄道省に移籍し、鉄道院技師に転任。鉄道院業務調査会会議副委員長を経て鉄道博物館掛長となり、交通博物館設立に尽力。鉄道院管理部長、九州・中部各鉄道管理局長、鉄道省理事を経て、西シベリア鉄道国際管理委員会副委員長に就任。その後東京市電気局長を務めた後、衆議院議員。長尾奨学金を創設、教文館初代会長、和光学園園長、明治学院理事、東京女子大学副学長など歴任しながら、麻薬中毒者救護会理事なども務めた。
〔本叢書編者〕日高 彪(ひだか・たけし)
昭和44年5月28日、名古屋市に生まれる。文学・歴史研究家。東海中学・東海高校(浄土宗)に学ぶ。平成6年3月、早稲田大学第一文学部文学科日本文学専修卒業。出版社勤務を経て現在に至る。

目次

驢馬の頭
ノア方舟を出でて後
日本は今英国の十七世紀頃
日本には統計がない
言に敏行に訥
ある生命保険会社の重役
酒の神の話
悪魔と青年
スリー・マイルス・リミット
主義は犠牲なり
軍人と酒
九鉄局長時代のことども
大演習と興風会員
汽車中の一代議士
緑の黒髪
国を売るまで
児玉将軍
酒のなる木
酔紳士の禁酒演説
維新の志士と禁酒
日本の政治家は強度の近視
ロマノフ朝三百年の夢のあと
地方的禁酒の効果
制空と禁酒
文明利器の悪用
市参与の披露晩餐会
徳利は読んで字の如くならず
涙と酒
彼我政治家の態度
チェスタートンの対雨感
写真療法
ドクトル・ホーリチェルの麦酒有害論
水酒盛の結婚式と後藤子爵
最後の勝利
人類の大問題
これでもまだか
個人の自由と禁酒
「緩和同盟」の錯誤に対するフィッシャー教授
ゴルディアン・ノット
三種の花の乱れ咲き
泥酔の解
名古屋城頭金鯱の教訓
禁酒法制定の動機ならびに奏功の原因
禁酒法実施の経済的価値その他
禁酒法制定に至るまでの経過
北米合衆国上院立法委員会の報告とフイッシャー教授の『禁酒法の最低評価』
人口問題と禁酒(その一)
人口問題と禁酒(その二)
人口問題と禁酒(その三)
人口問題と禁酒(その四)
人口問題と禁酒(その五)

本書より抜粋

酒に渇いていたある労働者がアルコールが飲みたさに、自から斧をもってその腕首に切り瘡を付けた。驚いて駈け付けた医者が、その瘡口にアルコールを浸したガーゼで湿布をしてくれた。
彼はその血に塗れた湿布のアルコールをチュウチュウ吸いながら言った。“Now I am satisfied”(私は今これで満足した)と。自らの身体を害うても酒を飲もうとするのは単にこの労働者ばかりではない。
(「緑の黒髪」より)

現代の日本人は、酒に対する道義的の観念が薄弱である。酒を飲むことと酒を飲んで乱行することとを、道徳上の罪悪の除外例のように見做して居る。だから昔の人にも、きっと現代人と同じような観念を抱いて居たに相違ないと速断する人も多いか知らぬが、事実は決してそうでない。昔の人でも社会の先覚者を以て任ずるような達観の士は、酒というものに就いて相当な警戒もした。また禁酒の手段や方法も及ぶだけは講じたのである。吉田松陰、勝安房、坂本龍馬、山岡鉄舟の如き偉材が、揃いも揃うて維新の当時に、雄々しくも絶対禁酒主義の実行者であったことを記憶せねばならぬ。そうして観ると英雄必ずしも酒を好んだとは申されまい。
(「維新の志士と禁酒」より)

私の禁酒家であることは世間によく知られ、名高い看板となって居るが、世人の多くは私の禁酒を宗教の信仰と混同して、宗教家であるから禁酒して居るのだと思っているようだ。しかし私の禁酒を実行したのは宗教を信ずるズッと以前のことであった。そもそも私の酒を飲みはじめたのは、今から四十余年の昔、新潟中学校に在学当時のことで、禁酒したのもまた同時代であった。
私は元来本とうの酒好きではなかったようだが、その頃この中学校に在った、二百何十名の生徒中で誰が最も多く酒量があるかという一種の競争が起こったものから、どうせ飲むなら一番になってやろうとつい青年の好奇的野心なども手伝って酒飲みになったのである。(中略)その暴飲のために眼を悪くし、心臓にも故障が起きたかのように感じたから、この時より翻然酒を禁めようという考えを起こしたのである。
(「水酒盛の結婚式と後藤子爵」より)

日本禁酒・断酒・排酒運動叢書「刊行の辞」

アメリカの所謂「禁酒法」について、鼻で笑い馬鹿にするが如き態度をとる日本人は多い。だが、アメリカの道徳的改良主義に源を発する同法が、結果的には失敗に終わったとはいえ、如何に真摯な問題意識から起こった、人類史上稀にみる「実験」であり「試行錯誤」であったのかを我々は改めて確認する必要がある。日々目の当たりにする「酒害」の問題に、目を背けることなく、世に警鐘を鳴らし、それと戦い続けた慧眼の持ち主は、米国のみならず我が国にも多数存在した。しかも、米国の「禁酒法」より遥か昔、古代からわが国では、「禁酒運動」が細々ながら連綿と続けられてきたという事実は、本叢書第一巻「日本禁酒史」において明らかになるであろう。本叢書は、そのような先人諸賢の言葉に謙虚に耳を傾け、今後の「禁酒運動」発展の一助となるよう、広く古今の名著を収集して編纂されたものである。「運動」といっても、何もプラカードを掲げて市中を行進するばかりが「運動」ではない。我々の周りの問題飲酒者に注意を喚起し、手を差し伸べることもまた、立派な「運動」なのである。酒害は真っ先に「人間関係」を破壊するが、酒害からの回復もまた「人間関係」によって齎される。或る種の目的を遂げるべく、国や社会、地域コミュニティー、家族などにおける「人間関係」に一定の影響を与えんとすること、それを広い意味で「運動」と呼んで差し支えないとの理由から、本叢書に「運動」の語を冠した次第である。本叢書が、我が国におけるこれからの「禁酒運動」を理論的に後押しし、一人でも多くの酒害者やその家族の方々に希望の光が兆すことを祈るばかりである。(日高彪「巻頭言」)
「日本禁酒・断酒・排酒運動叢書」のパンフレットはこちらPDF(623KB)

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