序 文
第一章 一九九三年 アメリカで五十歳の学生生活スタート
ヴァーモント州ウィノスキー
セントマイケル大学へ到着
女教師達のパーティーとその後のコミュニケーション理論
コンピュータールームでの出来事
二人のアメリカ人女性とのタウンハウス生活
良きサマリア人
言語学コース
モントリオールは別の異文化
LとRの発音
「ノー」と言えないアメリカ人男性
朝のカフェテリア
典型的な日本人女性、藤間さんのコミュニケーションスタイル
アメリカ人の公平さ
メアリーの卒業式と井戸端会議
お別れブランチ
第二章 一九九四年 エピソード
アパート探し
フロリダアベニューの住人になって
モールのシャンプレインミルとスーパーマーケット
ある日の音韻学の授業前
同級生キャロルの自尊心
ポジティブな意味を持つアサーティブネス
音韻学コース
同級生のアフリカ人、アダ
大学主催のシェルバーンでのパーティーと友情
Wantとwould likeに関する表現
第三章 一九九五年 ホームシックと勉強
旧友ニコールのドライブでボストンからヴァーモントへ
ジェリコの町とウルフ夫人
デイジーさんの日記
「理論と指導法」コース
ハウスツアーへ招待される
教授とのアポイントメント
ホームシック始まる |
第四章 一九九六年前半 試行錯誤と創造力と隣人愛
ボストンで迎えた新年、アリス教授とのミーティング
春、大学へ再び戻る―娘の卒業式
ウルフさんに招待される
教材作りとホームシック
投函しなかった遠藤周作への手紙とホームシック
癒される場所ヒロアイランドへのドライブ
私の恩人、アリス・セイヤー教授
展示会「マインド、ボディー、ヒーリング」
ガーデンツアーにアリスを招待
日本人学生のチューターになって
私のアメリカ人チューター、ミッシェル
移民のための英語クラス参観
私が指導したコース
トラップファミリーロッジのあるストウの町
セントマイケル異文化コミュニケーション研究会立ち上げ
夕焼けと日の出の違い
再びアパート探し
突然の帰国、息子の手術
第五章 一九九六年後半 さらなる研究のために
大学に戻る
ボストンへのドライブ
研究の資料収集、インタビュー
ヴァーモント州教員研修会に参加
ミドルベリーカレッジ訪問
卒業試験
作家アリス・ウォーカーの講演
感謝祭に招かれて
第六章 帰国後のアメリカとのコミュニケーション
悪 夢
イラク戦争
チャペルの鐘の音
中庭の彫刻と詩
あとがき |